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2015年6月14日 (日)

THE NEW KING'S ROAD GAZETTE (JOHN WETTON FAN CLUB:ジョン・ウェットン・ファンクラブ会報バックナンバー)

京都への帰郷に向けて、これまで仲良くしてくれた友達やジョンウェットンのファン繋がりでお世話になった方々と続々と送別会を企画して頂いたり飲み会の約束をさせて頂いたりと、ありがたい思いの中で一昨日あたりから「joshoのさよなら東京シリーズ」が始まった。

夜は飲み会の連打でちょっとばかり胃薬の準備は欠かせない。昨日土曜もウェットン繋がりのお仲間数人で渋谷で拙の送別会。集合場所が渋谷のレコファンってところがいかにもって感じである。ただ単に渋谷レコファンに集まっただけでは無い。私も含めて皆さんしっかりレコファンで買い物もしてるし。私もずっと探していたブライアンフェリーの日本限定盤マムーナEPを中古CDで無事発見することが出来て早速購入した。ここにはエディジョブソンが作曲、演奏、ギターがロバートフリップで歌がフェリーという貴重なシングルB面曲 As The World Turns が世界初のCD収録されていて、もう廃盤なのでエディジョブソンの音源を探すマニアにとっては貴重な廃盤CDである。

さて今回の飲み会時にユーライアヒープ宣伝部長のマイミク某Kさんから2005年で解散されたというジョンウェットンファンクラブ(JWFC)の会報のバックナンバーがあることをお知らせいただき、在庫のある2000年ごろから2005年ごろまでのバックナンバー11冊をまとめて購入させて頂いた。

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何度も言うが私は83年、京都の田舎で高校生だった頃にKBS京都という京都のAMラジオの番組でエイジアのドントクライを聴いて以来、30年以上の年季の入ったエイジア、ジョンウェットンの大ファンである。そんな私がこのJWFCの存在を知らなかったのは今となっては誠に不覚。そこはやっぱり田舎もんのサガというか、そういうミュージシャンに極めて近い位置にいる方々が作るファンクラブというものはとても遠い存在のように感じていて自分には無縁の世界と自分で決めつけていた面もある。90年には就職して東京方面に出て来ていたにも関わらず、である。

東京に出て来てからは早速90年エイジアの中野サンプラザも観に行ったし94年の先生ソロとしての初来日の渋谷オンエアイースト(だったかな?)にも参戦していた。自分ではジョンウェットンを語らせたらそこら辺の人には負けないぞくらいに思っていたくらいである。ただ、この後くらいから仕事面や私生活面含め多忙を極める日々となり先生のCDも買ってはいるし、しっかり聴いてもいたんだがライヴにはまったく行けなくなった。同時にぶくぶく太り始めた先生の不摂生なお姿と、権利関係のはっきりしないブートまがいのライヴCDが乱発されたことも、その管理のいい加減さに若干の嫌気がさしてフォローしきれなくなっていたのもある。94年の先生ソロ来日公演以来、次に先生の来日公演に行ったのは2007年のオリジナルエイジア再編成後の来日公演であった。そういう90年代後半から2000年代前半は、自分的には先生の大ファンとしてのエアポケット的な期間であった。だからJWFCの存在も知らなかったのだろう。ちょうどそんなエアポケット期を埋めるようなバックナンバーの数々が未だ在庫が残っているとの連絡を頂き購入させて頂いたわけだが、昨晩からパラパラと捲っているだけでも非常に面白い。単に先生に近い位置でミュージシャンサイドとコンタクトを取れそうな人たちがやっているという事では無くて、本当にジョンウェットンという存在を愛している人たちが地道に苦労しながらファンクラブを継続し、楽しい会報を作っておられたんだなぁというのが分かる。もちろん現実にミュージシャンサイドに近いファンの方々のウラ話的レポートとかも掲載されていて、そこはもう興味津々で読ませて頂いた。そこに出てくる執筆者の方々の名前はもう・・・・出るわ出るわ、いま現在に拙ごときと仲良くして頂いている知ってる人たち(笑)。そこに載ってる名前の方々と今月次々と飲み会をやっている自分・・・(笑)。

この会報バックナンバーを拝見していると、なんかもういろんな思いが交錯して、ここまでジョンウェットンを心から愛する方々と直接のお知り合いになれたこと、また、拙ごときを快く仲間として受け入れて頂いて、仲良くして頂いたことはホントにありがたかったなぁと思う。来月からは地理的に離れるんだから当たり前のようには会えなくなるなぁと思うと寂しくもあり、何とも感傷的になる。

こういう紙媒体は、ネットでブログという形で拙のような評論家気取り(苦笑)が続々登場する以上、その使命を終えたというJWFC会長様のお考えもあったとは思うけど、そこにリアルタイムで絡めなかったことはとても残念だったと思う。でもそこで出来た繋がりはこれからも残るだろうし実際その繋がりに自分も後発者ながら繋げて頂いたことはこれからの貴重な財産として京都に帰っても生かして行きたいワケですよ。とにかくジョンウェットン繋がりで関西版でなんか面白いことしたいなとか、これらの会報バックナンバーはその参考にもさせて頂きたいと思います。

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