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2017年1月31日 (火)

ジョン・ウェットン追悼:エイジア1990年来日公演の思い出 (R.I.P. JOHN WETTON : Sep 28, 1990 @ Nakano Sun Plaza TOKYO)

私の信奉する哲学の用語に、「変毒為薬」という言葉がある。そのまま日本語読みするならば、毒を変じて薬と為す、という事であるが、要するに世間で言うところの、災い転じて福となす、という事とほぼ同義と言える。僭越ながら私自身も、この言葉の如く、どんなに人生で辛くても苦しくても、前を向いてすべてを前向きに捉えて、生き抜いていこう、そう思いながら生きているのである。

我らがジョンウェットン大先生が病との闘いの中で、激ヤセしてるぞ、大丈夫か? みたいな声が多くあった。しかし私は上記の言葉「変毒為薬」の如く、先生がこの病との闘いの中で、病を乗り越え、以前のスリムな体型を取り戻し、1990年エイジア来日公演の如く、黒のスリムな革パンをピシッと履きこなし、ステージを駆け回り、マイクスタンドの前にベースギターを抱えて立つ姿は容姿端麗で、素晴らしく伸びのある美声を再び聴かせてくれることになるであろう、そんな風にチョー前向きに想像していた・・・。

私が初めてジョンウェットン大先生をナマで観たのは、まさしく1990年のエイジア来日公演であった。当時のチケット半券とパンフは今でも大事にとってある。

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就職して、京都亀岡の田舎から東京に出たのが1990年、そのタイミングでジョンウェットンのエイジアの復活、来日公演が発表され、東京での記念すべき初めてのライヴ参戦が「ジョンウェットンのいる」エイジアであったのだ。先生のいるエイジアとしては初来日である。そりゃそうだ、83年のエイジアインエイジアは先生はいなかったんだから。ジョンウェットンのエイジアを観れる、それはもう当時の感覚で言えば飛び上がらんばかりの心躍る出来事であり楽しみであった。

いつも言うけど83年、高校2年生だった夏頃、高2と言えば何をやっても楽しい時期であったし、そんな気楽で楽しい時期にラジオを聴いて巡り合ったエイジアのドントクライにドハマリし、アルファのLPを買い、1stもレンタルで借りてカセットテープにダビングして聴き倒し、世界で一番有名だったエイジアを聴きまくった夏。その後のゴタゴタからアストラでの復活、セールス不振で活動停止。87年ごろに復活の兆しが見えるもそのまま沈黙で80年代後半はエイジアの動きが見えない時期であったのだから。

1990年9月28日、ワクワクしながら中野のサンプラザに行った。夢にまで見た「ジョンウェットンのいるエイジア」のステージ開演。オープニングは確かWildest Dreamsだったと思うけど、その迫力ある演奏と、そして何よりも他に類を見ない唯一無二の先生の歌声に、もう最初から感動で泣きそうになりながら、サンプラザの2階席から先生とダウンズ、パーマー、パットスロールの雄姿を眺めていた。黒の革パンで、どう見てもカッコいい立ち姿、そしてあの美声、エイジアでの先生は、いや、先生のエイジアは、本当にカッコ良かった。それまでに88年から90年の大学卒業前までにイエスやピンクフロイド、U2、メタリカ、ライオット、ABWH、フィルコリンズ等々、上京前に大阪でいろいろライヴに参戦してきたけど、やっぱり私はエイジアが好きで、ジョンウェットンのエイジアが好きだったから、このサンプラザで観たエイジアの時が一番満足感が高かった。あんなに満足感で胸いっぱいになって帰路についたことは未だかつてないくらいだと思う。2017年の今になっても、あの90年エイジアのライヴは私の生涯ベスト3に入るライヴだったと言い切れる確信がある。エイジアの初期3枚からの代表曲のみならず、UKやクリムゾンの曲まで演奏して、恐らく先生のライヴ活動としてのピークは、特に歌い手としてはあの90年エイジアがピークだったのではないかと思うくらいである。

2017年1月31日、なんと明日は私の誕生日であるというその前日、スリムな黒の革パンを履いてステージを駆け回る先生の姿は永遠に思い出の中でしか観れなくなってしまった。今はまだこの現実を受け止めることに精いっぱいで、言葉を失っているから、無理やり紡ぎ出した言葉が今回の記事の文章である。多分これから時間を経るごとに、もっともっといろんな先生への思いや言葉が止めどなく溢れてくるであろう。私が初めて先生をナマで観たのはサンプラザ、そして最後に先生をナマで観たのも2015年UKファイナルでのサンプラザとなってしまった。

その人それぞれに先生の思い出があると思う。ブライアンフェリーの来日時にバックバンドにいる先生を観た人、79年UK来日公演を観た人、94年以降の先生ソロ来日公演を観た人、スティーヴハケット&イアンマクドナルドとの来日公演を観た人、アイコン来日公演を観た人、2007年オリジナルエイジア来日公演以降の先生を観た人、時にはアル中と不摂生でぶくぶくに太って情けないステージを展開する姿を観てしまった人もいるだろう。また、ライヴを観る機会は無かったけど、レコードやCDで先生の楽曲を聴いてきた人も沢山いるはずである。残念なことに、もう先生の姿をナマで観ることは出来ない。しかし思い出の中にあるカッコいい先生も、情けない先生も、先生が亡くなったからこそ、その存在はイキイキとし、大きく大きくなっていく。それこそが先生が我々ファンに残してくれた財産である。そして先生が残してくれた楽曲、これはもう永遠に生き続ける。楽曲は、思い出の中ではなく現実に生き続けるのである。

先生の残してくれた楽曲がある限り、

もう会えないのではない。
いつかまた逢えるのでもない。
いつでも逢えるのである。

R.I.P. JOHN WETTON

さようなら、ジョンウェットン大先生。
そして、また、明日も、明後日も、よろしく。
先生の素晴らしい楽曲で、歌声で、ベースで、ギターで、いつでも逢えるから・・・。

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